プロファイル
■ 氏名
- 伊部英史(日本読み:いべひでふみ)
- 英語通称:Eishi H. Ibe
■ 学歴・従事歴
- 1951 誕生日@東京
- 1975 京都大学物理科学系卒 日立製作所入社
- 1975-1995 原子力関係研究に従事
- 1985 大阪大学より、工学博士の学位授与
- 1986 CalTech Research Fellow(1年留学)
- 1995-2016 電子機器・デバイスの信頼性研究に従事
- 2016-2020 合同会社 エクサパレット経営。
- 2020- コロナ流行で会社経営断念。フリーランスに転換、今日に至る。
■ 表彰:
- 日本原子力学会 (奨励賞1986, 論文賞1990)
- アメリカ原子力学会(1996)
- IEEE フェロー賞(2008) メモリーデバイスの中性子ソフトエラー研究への貢献
- 第15回山崎貞一賞「半導体および半導体装置」部門受賞(2015)
■ 学会・委員会活動:
- JESD89A タスクグループ アジア・太平洋地域チェアー(2002-2006)
- プログラム委員: SELSE (2004-2013), IOLTS (2008-),ICITA (2002-2005), IRPS, WDSN、NSREC,IWRMN-EDHE(2017-)、
- 諮問委員 RASEDA(2012-)
- ICICDT Track Chair
- SELSE Steering committee (2014,2015)
- IRPS SER sub committee Vice chair (2014)
- IEC TC107 IEC62396 PT8 project leader (2014-)
- 最新デバイスの放射線耐性向上検討委員会(JAXA)委員長(2008-2014)
- IWRMN-EDHE2017 Technical Committee(2017)
- 国際招待講演20回以上
- 国際論文誌査読250編以上
■ 出版物(amazon.co.jpまたはamazon.comからお取り寄せできます)
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記号 | 共著者 | 出版社、"タイトル"(発表年) | メモ |
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A | Takashi Nakamura , Mamoru Baba, Eishi Ibe, Yasuo Yahagi, Hideaki Kameyama | WorldScientific,"Terrestrial Neutron-Induced Soft-Errors in Advanced Memory Devices"(2008) | 伊部の最初の中性子ソフトエラー分野の著書で、中村東北大学名誉教授のご指導を頂きながら、仕上げました。 伊部はChapter 1, 6-9を担当させて頂きました。 |
B | Nobuyasu Kanekawa,Eishi Ibe, Takashi Suga, Yutaka Uematsu | Springer, "Dependability in Electronic Systems" (2011) | 元日本信頼性学会会長の金川氏の音頭で、宇宙探索船・人工衛星搭載コンピュータ、地上の電子機器のソフトエラー、EMI、電源の電磁ノイズの問題を幅広くとらえた視点の専門書です。 |
C | Koichiro Ishibashi, Kenichi Osada, Eishi Ibe, Masanao Yamaoka,Yasumasa Tsukamoto, Koji Nii | Springer, "Low Power and Rliable SRAM Memory Cell and Array Design"(2011) | 2020年現在、電気通信大学の石橋教授がまとめられた高速・低電力SRAMに関する教科書です。 代表はソフトエラーの章、Chapter 6を長田氏と分担しました。 |
D | Eishi H. Ibe | Wiley and IEEE Press, "Terrestrial Radiation Effects in ULSI Devices and Electronic System"(2015) | 代表が初めて単独で執筆した高エネルギー粒子線による半導体デバイス・機器の障害の解析、評価、対策に関する総合的専門書です。本書は大変好評で、中国科学院から中国語翻訳版が2019年3月 に出版されました。 |
E | Shojiro Asai(編集者) | Springer, "VLSI Design and Test for Systems Dependability"(2018) | 伊部はソフトエラーの章Chapter3を執筆・まとめました。 |
F | Prof. Bi 他 | 電子工業出版社(中国科学院),「現代集成電路輪電子系統的地球環境複写効果」(2019) | 著書Dの中国語翻訳版 |
F | 技術情報協会 | 技術情報協会,「宇宙ビジネス参入の留意点と求められる新技術、新材料」(2020年4月) | 伊部は第8章第5節 「宇宙環境放射線による電子デバイス・装置障害の基礎と対策」を執筆致しました |
■ 資格:
- IEEEフェロー (2008)
- 工学博士
- 第一種放射線取り扱い主任者
- 小型船舶操縦士1級
- PADI ダイブマスタ-
- フォトマスター1級(2019)
■ 趣味:
- スキューバダイビング(休眠中)
- 囲碁(日本棋院アマチュア5段格;休眠中)
- コンピュータプログラミング
- 写真・動画撮影および編集
- 旅行・ドライブ(マツダ Axela)・撮影
- 愛犬・パピヨン、ナノちゃん(2015年クリスマスイブ生まれ)
■ 海外滞在・訪問記録:
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[国名] 地方名 {主な時期 (期間)} 都市名 |
[事由]・ブログ・旅行記 |
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[アメリカ西部・太平洋] カリフォルニア;ハワイ;ネバダ;ワシントン {1975- (足掛け2年以上)} サンノゼ;サンフランシスコ;モンタレー;ロスアンゼルス;パサデナ;サンデイゴ;ラスベガス;サイパン;ハワイ;グアム;シアトル |
[原子力・半導体関係ビジネス;社費留学;家族ツアー] ・米国企業と日立との共同研究に参加し、サンノゼに8ヶ月滞在しました。このとき初めてアップルのパソコンを操作し、大量のデータを 操作して比較的簡単に解析ができるので、その有用性に強烈な印象を持ちました(日本ではまだパソコンは普及していなかった)。 滞在中、近くの山中で野生のコヨーテ(英語(coyote)では「カイオテ」に近い発音になります)に目と鼻の先で遭遇しました。 しばし、窓ガラス越しに目を合わせていましたが、野性の眼の妥協も媚もない鋭さの恐ろしいこと! ・帰国直前にヨセミテに観光に行きましたが、眼を奪う景観に圧倒されました。 ・ロサンゼルス近郊のパサデナでカルテックに留学し、イオンビームによる半導体表面のイオンミキシング技術を修得。イオンミキシングの理論モデルを開発し、 帰国後応用物理学会シンポジウムで招待講演をしました。 ・大きな水族館で有名なモンタレーではIRPS(International Reliability Physics Symposium)で招待講演。 IEEE Fellowの表彰式も開催して頂きました。 ・ラスベガスでは最初の海外出張で米国原子力学会ANSで高速増殖炉用(もんじゅは廃炉が決まりましたが) の微小漏洩検出器の発表をしました。 当時は今ほど治安がよくなく、たかられることも経験しました(無事でした)。 ラスベガスには2011年のNSRECで再訪しましたが、夜でも老夫婦が街中を談笑しながら歩いているほどで変貌ぶりに驚きました。 ・ハワイではオアフ島(2007)で NSRECに参加しました。 ・サイパンはスキューバダイビング、 グアムは家族旅行です。 |
[アメリカ中部] アリゾナ;ユタ;ニューメキシコ;ミネソタ;アイオワ;コロラド;ペンシルバニア;メリーランド;テネシー;テキサス {足掛け約4ヶ月} フェニックス;デンバー;シカゴ;デトロイト; アルバカーキ;オークリッジ;オーステイン |
[原子力・半導体関係ビジネス;家族ツアー] ・グランドキャニオンは圧巻でした。 ・ORNL(Oak Ridge National Laboratory)訪問。原子力関係の情報交換。 ・LANL(Los Alamos National Laboratory)には一週間ほど滞在して LANSCE(Los Alamos Neutron Science Center)でなかなか厳しい入域審査を経て中性子照射実験を行いました。 ・デンバーでは日米標準の国際会議に参加しました。 帰途、車で4000mのロッキー山脈越えをしましたが、砂漠地帯の夏でしたので、Alpine Visitor Ceter のある頂上付近(海抜3595m。ほぼ富士山の山頂と同じ。)でも雪は無く快適でした。 ・シカゴでは当時世界一高いビルだったシアーズタワー (現ウイリス・タワー)の展望台(高さ412.7m)に行けました。地上がはるか下、かなたに五大湖が広がります。 でも現在は世界の高層ビルトップ10から外れたそうです。 ・2002年参加したフェニックスのNSRECでは、脚を伸ばして セドナ(迫力の空中動画公式サイト)まで行きました。 ・2005年のNSRECの開催地シアトルでは、 サンノゼ滞在時共同研究者のイタリア人と登山を計画していたレイニア(雨の比較級だそうです)山を雲の合間から近く見ることができました。 雪を被っている恐ろしく高い山(海抜4392m)で行かなくて良かったと思います。 |
[アメリカ東部] ニューヨーク;フロリダ;ジョージア;メイン;ボストン {1975- (足掛け1年以上)} ニューヨーク;マイアミ;アトランタ;ポートランド;ボストン、ワシントンD.C. |
[原子力・半導体関係ビジネス] ・ボストンではMITの実験炉MITRで放射性窒素関係の実験を継続しました。 ・ワシントンD.C.は半導体関係の世界最大級国際会議 IEDM(international Electron Device Meeting)に参加しました。 ・マイアミでは2006NSRECに参加しました。 ・ジョージアでは点検中のHatch-2原子炉で実験を実施しました。 |
[カナダ] オンタリオ {1975- (数週間)} ケベック;モントリオール;トロント;バンクーバー |
[半導体・原子力関係ビジネス] ・トロントでは原子力関係の技術交流でカナダの原子力研究機関 AECL(Atomic Energy Of Canada Limited)を訪問しました。 ・ケベック(2009)、 バンクーバー(2001)ではそれぞれNSRECに参加しました。 |
[ブラジル] サンパウロ {2015(1週間)} >サンノゼドスカンポス |
[国際会議(2016)] ・日本からの移動時間は航空機に乗っているだけで24時間かかります。ドイツのフランクフルト経由で丸2日かけて到着。 空港もバスは治安が悪いとされているので、日本からタクシーを予約しました。 ・サンパウロの東の近郊 サンノゼドスカンポスの街中は大きなショッピングモールもあり良く整備されている印象。 郊外に出ても、広い空間にアメリカや日本の工場が点在し、治安が悪い印象は受けません。 ・一方で、貧民窟で知られるサンパウロ周辺の ファベーラは見るからに恐ろしげで、絶対に近寄ってはいけないのは言われなくてもわかるほどです。 |
[オーストラリア] 東部 {2001,2005(2週間)} シドニー/Bathurst/ブルーマウンテン |
[情報通信国際学会] ICITAに, 2002年Buthurstで開催されたICITA2002、 2005年シドニーで開催されたICITA2005の2回参加し、2回ともセッションチェアーを務めました。 ・Bathurstでは学会主催のバスツアーで世界自然遺産のブルーマウンテンでの 観光を楽しめました。 ・当時イラク戦争の真っ只中で、米空母がシドニーに寄航中でしたが、 土産物屋で物色をしていると、なんと!、米軍の海兵隊と間違えられました(笑)。 |
[中国] 東部 {2017 (2週間)} 成都;上海;北京;香港 |
[半導体信頼性国際学会、家族旅行] ・中国科学院の招待を受けて 2017年5月に四川大学の理科系の学生相手に中性子基因の半導体デバイスノソフトエラー問題について講義を行ないました。 同時期に四川で開催されたIWRMN=EDHE(International Workshop on Reliability of Micro- and Nano-Electronic Devices in Harsh Environment)にも招待講演の依頼を受けていましたが、北京で開催の国際委員会と時期が重なったため、 お断りをせざるを得ませんでした。中国はこのときが初めてだったこともあり、色々勉強もしました。 ・まず、 上海で一泊しましたが、泊まったホテルが「国際」と銘打っているにも関わらず、フロントが全く英語が通じなく、クレジットカードも VISAやMaster Card, AMEX, JCBが全滅で、Union Pay(持っていませんでした)のみしか使えないという状況に驚きました。 ・加えて、外貨の両替もホテルではできず、持っていた通貨は円とドルだけだったので、 近くの銀行までタクシーで連れて行ってもらって中国元にやっとのことで換金できました。 ・翌日成都(四川省)に向かいましたが、空港から成都に向かう高速道路の立派さにまた驚きました。 片側4車線で、まるでカリフォルニアを走っている気分でした。 ・成都では、30階建てくらいのマンションが5x5棟くらいあちこちに林立している一方、ひどくみすぼらしいアパートも裏通りに建っていて 貧富の激しさを感じました。四川大学の講演を終えたあと、上海経由で北京に移動しました。 ・北京の街も、日本の繁華街と見かけは変わらないほどで、共産圏という感じは受けませんでした。 KFCもSeven Elevenもそこらじゅうにあります。 車はドイツの高級車だらけですが、歩行者無視の運転マナー(歩行者は車をよけなければいけないようです)は中国らしいところではあります。 ・北京のホテルはTC107の国際会議を開催したほどですから、一流ホテルですが、フロントは片言の英語を話せるスタッフが1人だけで、最後は図と漢字の筆談が最も有効という、ちょっと情けない結論に達しました。 ・最終日に天安門と故宮 観光に割きましたが、帰りのタクシーでは軒並み乗車拒否にあい、地下鉄駅まで延々と歩いて帰りました。日本人は敬遠されるのかな?とか思いましたが、車が渋滞する時間帯は効率が悪いので乗車拒否に会うか、 高額料金をぼられるので、北京の社会問題になりつつある、という記事に出会って納得しました。 ・成都には別な学会参加で、同じ年の12月に立て続けにいくことになりました。 ・四川といえば「火鍋」が有名ですが、もともとは、肉以外のモツを食するために考案された料理だそうで、材料は牛の胃袋とか、ブタの脳みそとかモツばかりで、肉が出てきません。 帰りの空港でやっと肉料理に出会い、ほっとしました。 魚料理は海が遠いので川魚が出てきますが、においがきつめで日本人には会わないかもしれません。 ・このときは現地の方が案内してくれたので、四川の見所パンダ園にも行け ました。結構広く起伏があって、行けども行けどもパンダだらけです。ササを食べるものと思っていましたが、竹の幹を切ったものをバリバリ食べていました。 |
[台湾] 西部 {2011(2週間)} >台北;高雄 |
[半導体信頼性国際学会] ・2011ICICDT(2011 IEEE International Conference on IC Design and Technology)という 国際学会が台湾の高雄で開催され、運営委員だったこともあり、家族旅行も兼ねて参加しました。 ・高雄市内にあるデパートでは日本のラーメン店があったり、1フロア丸ごと使って北海道展を開催したりと、台湾は日本贔屓という印象を強く受けました。 ・高雄と台北の間は台湾新幹線で快適に往復できました。 |
[韓国] ソウル {2003 (数日間}) ソウル |
[家族旅行] ・韓国には、家族で1回だけソウルに行き、 ロッテワールドや定番の明洞で過ごしました。 ・明洞では、それほど恰幅が良かった訳ではないですが、しばしば「シャッチョウサン」と声をかけられました。 |
[ベトナム] 北部 {2015 (数日間)} ハノイ |
[半導体信頼性国際学会] ・ハノイのハノイ国立大学で開催された学会 ICDV2014 に招待され、講演をしてきました。 日本との技術交流がとても盛んな印象で、参加者はベトナム人と日本人ばかりで数えるほどの欧米系の参加人数でした。日本の企業も数多く進出しているようで、大変友好的でした。 ・ただ、ハノイのバイクの恐ろしさはハンパではありません。 バイクの群れが斜めに交差してノンストップで入れ違ったりはしょっちゅうです。 街中は貧富の差は感じましたが、昼間は普通に歩いて道端でフォーを食べれるほどです。 道路を横切って歩くのはバイクの群れを避けなければいけないので、慣れるまでは現地の人の影にはいるようにして渡った方が安全でした。 |
[インド] 北部・中部 {2007、2010 (3週間)} ニューデり;ジャバルプール;バンガロール |
[非常勤講師、学会] ・インドは デリー ニューデリーを入口とし、イギリスとの独立戦争も経験し、世界中に優秀な頭脳を提供している国としていまや世界トップクラスの国です。 その代表はIITですが、日印政府間の覚書に基づいて、教育分野での交流が進んでいます。 代表は、IITの ジャバルプール分校で、2回に亘り、半導体デバイスの製造プロセスの講義を行いました。当時はまだ。校舎建設中でしたが、今は世界に向けて情報を発信できるところまで成長しています. IITDM-Jジャバルプールでは、大理石渓谷、ドウワンダール滝などの現地ならではの景勝地も案内して頂きました。 バンガロール もインドの成長拠点として有名で、パワーデバイスの国際学会調査で訪問しています。 ・新デリー空港も当時建設中でしたが、大きな国際空港としてインドの玄関になっています。 |
[イギリス] 南部 {1983-2001 (1ヶ月超)} ロンドン;ボーンマス、ケンブリッジ、オックスフォード |
[原子力・IEC国際会議] ・イギリスには原子炉水質関係の仕事で南海岸のボーンマスに3週間ほど ・ハーウェルに1週間ほど ・ケンブリッジ大学に数日 ・ロンドンには2週間ほど滞在しました。2018年ロンドン訪問時には丁度イギリス王室ヘンリー王子の結婚式とIECの国際会議の時期が重なり、賑わっていました。 オイスターカードという日本のSUICAみたいな仕組みがあって、市内の地下鉄・バスは自由に乗り降りできます。 ロンドンの赤い2階建てバスはルートが多く、数分おきにくる感じなので、ストレスなく「ロンドン路線バスめぐり」が出来、お勧めです。 |
[フランス] {1989-2015 (数週間)} パリ;ドーヴィル;グルノーブル;トウールーズ;モンペリエ;マルセイユ;アヴィニョン |
[原子力・半導体信頼性国際学会] ・1987年のチェルノブイリ原発の過酷事故後、しばらく過酷事故時のヨウ素の挙動解析の研究を担当し、アビニョン 教皇庁で学会発表した経験があります。1990年頃と思いますが、この学会の記録に何故か行き当たりません。 ・2007RADECS ( Radiation and Its Effects on Components and Systems)はフランス、パリ の西の海岸Deauvilleで開催され、 モンサンミッシェルを訪れる機会を得ました。海の泥地にそびえる城の何とも不思議な印象深い風景でした。 ・グルノーブルはTami Laboratory訪問やICICDTなどへの参加時に数回訪問しました。 地中海南海岸に近いキャプ・ダグド(Cap d'Agde)も2005RADECS (2005 Radiation and Its Effects on Components and Systems(2005 RADECS),Sep.19-23, Palais des Congres, Cap d'Agde, France)参加の際、過ごすことができました。 ・モンペリエ大学はソフトエラーシミュレーションなどで、 実績があり、調査目的で訪問したことがあります。 ・国際委員会が,ツールーズで開催され、 Airbusの巨大旅客機A380専門の工場を見学しました。とにかく、部品や、機体をまじかに見れるので大きさに圧倒されました。 A380には1回だけ載ったことがあります。目の前のディスプレイで垂直尾翼に取り付けたカメラから飛んでいる機体の姿が全て見える映像が大変新鮮でした。 |
[スペイン} {2004.2014 (10日間)} マドリッド;バルセロナ |
[半導体信頼性国際学会] ・スペインには2014IOLTS、 2004RADECS (2004 Workshop on Radiation Effects on Components and Systems,Madrid, September 22-24, 2004)の2回行っていますが、 スペインの安全事情にはいい印象をもてませんでした。 マドリッドではレンタカーを日本から予約していたにも関わらず、2時間もまたされたり、市内 ではパスポート泥棒(警官のふりをしてパスポートを見せろといい持ち逃げする。4人組が多い。)にあったり、(これは手口を 事前に知っていたので引っかかりませんでした)、レンタカーのタイヤにこっそり穴をあけてパンクさせ、助けるふりをして、隙を 見て身包み全部持っていかれたり(これは本当の話です。)パスポートも、現金も、カードも一切取られ、アイフォン1個で方々に 連絡をして何とか帰ってきました。警察へ通報し、被害届を出しましたが、昼から3時まで休憩なので、そのころ出直してくれとか で、まあ、とにかく呑気なお国柄のようです。 |
[ポルトガル] {2009 (数日間)} リスボン |
[半導体信頼性国際学会] ・ポルトガル、リスボンでの国際会議2009WDSN (3rd Workshop on Dependable and Secure Nanocomputing)に当時日立のK主管研究員と動向致しました。 ・カニを主体とした海鮮料理が 自慢の日本人にはいい感じの郷土料理が楽しめます。焼津とか、姉妹都市契約もアリでは? |
[イタリア] {2000 (数日間)} ミラノ;ローマ |
[家族旅行] ・イタリアは仕事で訪れるチャンスはありませんでした。 家族旅行でローマ に行き、トレビの泉など観光しました。 バチカン市国にも行きたかったのですが、一方通行等々で道が分からず目前にしながら とうとうたどり着けませんでした。 |
[スイス] {1989-2001(2週間)} ベルン;シャモニー;ツェルマット |
[原子力国際学会・家族旅行] ・スイス は小さい頃から憧れていましたが、原子力研究時代にベルンなどへの出張がてらツェルマット に寄り道し、マッターホルンの全容を見届けることができました。スイスアーミーナイフをお土産にたのまれていましたが、 ツエルマットの表通り(観光客向け)と裏通り(地元向け?)で値段が大きく違うことに驚きました。お土産はどちらを買ったのか覚えていませんが。。 ・家族旅行でもシャモニや、ユングフラウヨッホ、 アイガー北壁などを観光し、たまたま何かのお祭りの時期でスイスの山々を背景に花火を楽しむことができました。 ・ユングフラウヨッホはアイガー、メンヒの岩盤中を掘りぬいた鉄道の終点で、標高3454mの高さにあり、4158mの山頂も標高3573mの スフィンクス展望台からまじかに望むことができる。 ・環境中性子線は高度が高いほど強度も高くなるので、高地で計測すれば、加速試験になる。 ユングラウヨッホの近隣(3450m)に設けた設備等が ASTEP と呼ばれるこの計測法に用いられている。 |
ベルギー] {2000 (数日間)} ブリュッセル |
[NEDO調査] ・2000年にヨーロッパのソフトエラー研究の調査の一環としてベルギー ブリュッセルの ・IMECを訪問し、C氏と意見を交わしました。 C氏とはその後、熊本大学で開催されたセミナーでお会いしています。 |
[オランダ] {1989(数日間} アイントホーフェン |
[原子力国際学会] ・オランダアイントホーフェンにあるフィリップスの研究所を訪問しました。 雑談で、街でフライドポテトにチョコレートをかけて食べているのに驚いて、「この国ではああいう食べ方をするのか?」と水を向けたところ、「オランダ人はしない。昔、 東インド会社(17世紀初頭~)の頃、東南アジアや、インドネシアから来た移民の好きな食べ方だ」そうな。 もっとも、最近の日本でも若い人は色んな食べ方をしているようなので、「あり」かもしれない。 |
[チェコ] {2015(数日間)} プラハ |
[国際委員会] ・チェコのプラハで、1週間ほど 国委員会に出席しました。旧共産圏の東ヨーロッパは初めてでしたが、西側と全く様子が変わらないことに驚くと同時に、歴史の重みのある 世界遺産の街の姿にも 感服しました。 ホテルから歩いて プラハ城の見学もできました。世界で最も美しい旧市街といわれる プラハ旧市街広場では様々な 大道芸も楽しめました。 |
[ギリシア] 南部 {2006,2008 (数週間)} アテネ、クレタ島、ロドス島 |
[半導体信頼性国際学会] ・2008年エーゲ海のトルコよりに浮かぶロドス島で開催された2008IOLTS に参加したのがギリシア訪問の最初でした。もともと東ローマ帝国領であったロドス島にはオスマントルコなどとの戦乱の歴史がある。 ・2010年の2010IOLTSでは、 コルフ島 2013年のIOLTSではクレタ島と, いつのまにかエーゲ海通になった感がある。 いずれも暑い時期だったのでシュノケーリングをしてみたが、魚がいない! うそかまことか知らないが、エーゲ海では昔爆弾漁をしていて、水中で爆弾を 爆発させ、生物を一毛打尽にしてしまったため、魚がいなくなった、という。。 アテネではRADECSとIOLTSで1回ずつ参加しました。 定番の パルテノン神殿を見学しましたが、 いつ見ても改修工事でなかなか「神殿」という雰囲気には触れられませんでした。 アテネの交通機関には、電車もバスも時刻表が無く、頻繁に通るわけでもないので、いつくるか分からない便を延々と待つこともしばしばありました。 ギリシアの経済がなかなか発展しない理由はこの辺りか? |
[デンマーク] {1989 (数日間)} コペンハーゲン |
[原子力関係] ・デンマークの コペンハーゲンでは、物質の粒子性と 波動性の相補性原理でアインシュタインと8年に及ぶ論争をしたことでも有名な ニールスボーア研究所の見学をしました。 |
[ノルウェー] {1975- (数日間)} オスロ、ハルデン |
[原子力共同研究] ・Buthurstオスロ の ・ハルデンにある 実験炉で、核燃料棒被覆管の腐食への照射効果の評価のための実験に参加しました。 オスロからハルデンまでは距離にして100km位ですが、酷く遅い電車(機関車だったかも?)で、2時間位 かかった記憶があります。 |
[フィンランド] >{1990 (数日間)} ヘルシンキ |
[原子力関係調査団] ・原子炉水質研究調査団のヨーロッパからの帰国途中でヘルシンキ空港 に立ち寄ったついでに、 ・ガラス細工で有名なイッタラに行きました。 ヨーロッパでは当時でも余り見かけなかった電信柱が林立している道路を見て、日本との共通性に思いを馳せた記憶があります。 |
[スウェーデン] 南部 {2001-2010 (数週間)} ストックホルム、ウプサラ |
[半導体関係共同研究] ・アーランダー空港からストックホルム, ・ウプサラまでは 鉄道で30分以内でいけます。 空港でレンタカーを借りても道は整っているので容易に到着できますが、特別に指示しないとマニュアルシフトの車を提供されることがあるので、オートマに 慣れきってしまっている人は気をつけましょう。 ・夏は白夜が楽しめますが、冬は太陽は南の地平線の上に一寸だけ浮かびあがって、 午後3時ころには沈んでしまいます。 スウェーデンの方には冬は憂鬱な季節だそうです。 ウプサラ駅の西側にはヨーロッパでも歴史の古い名門大学の ウプサラ大学のキャンパスが広がり、東側にはウプサラの街が広がります。ウプサラの街は一見して ただ茶色のレンガビルが立ち並ぶだけでショーウィンドウも無く殺風景に見えますが、そこがこの街の最大の特徴で、寒さ故、ビルの外壁から直接お店にはいるのでなく、 ビルの中にアリの巣のように通路が張り巡らせてあって、中はショッピングモールのようになっています。外の寒い空気に触れることなく、色々な店や、レストランを回る ことができます。 ・ホテルもウプサラ駅の東側に集中しています。スウェーデンのホテルの朝食はバイキング形式が主なものですが、パンやチーズの種類の多さが嬉しいです。 |
[ドイツ] {1985- 2010(数週間)} ケルン;ボン;フランクフルト;ミュンヘン;シュツットガルト |
[半導体信頼性。原子力国際学会] ・ドイツはベルリンの壁崩壊前に西ドイツのケルン、 ミュンヘン、 フランクフルト 西ドイツの首都ボンなどを訪問しました。 ボンではマックスプランク研究所を訪問しましたが、 訪問先の方が昼食中、「ボンが首都にしては貧弱なのは何故だと思う?」と切り出して熱く語ったのは「ドイツ人にとって、首都はベルリン以外あり得ない。 ボンは仮の都に過ぎない」であった。 ベルリンの壁が崩壊し、ドイツが統合されてベルリンが晴れて首都になったあとは、 雪のシュツットガルトでドイツ企業 を訪問して中性子基因のソフトエラーのメカニズムの講義をしたのが、1回だけの訪問になりました。ブラジルの国際委員会に参加する途中、中継点としてフランクフルトに前後2泊しましたが、 空港に極く近いホテルでしたので通過しただけといったほうが良さそうです。 |